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1890年代(明治23年~)に入り、日本でも国立の農事試験場や、府県の農事試験場が設立されました。
そこで地域の害虫の調査がすすめられ、防除方法などの試験、研究が行われるようになりました。


ここで研究された害虫防除技術をどのように農家に広めていったか。
政府は1896年に「害虫駆除予防法」というのを制定します。
この法律は明治29年制定され昭和25年に廃止されるまで約50年間運用されました。


この法律により農家に対し、強制的に害虫防除を行わせることが可能になりました。
この時期から害虫防除だけでなく、様々な農業技術を農家に強制的に行わせる政策が推進されます。
化学肥料の使用も、第一次世界大戦をきっかけに政府の指示のもと広がっていきます。


指示に従わない農家は、罰金が課せられ、逮捕され、留置場にいれられることになりました。
そして、この取り調べは、しばしば警察によってされました。


多い時には、害虫を防除しない農家の逮捕者は、年間6,000人に及ぶこともありました。


1900年前後は、害虫は防除不可能とする農家の考え方と農業技術を用いて防除するべしという政府の考え方が衝突した時期であり、この頃からますます農業技術は、お上から強制されるものになっていきます。


ただだか100年前の話です。